「喜びと聖霊に満たされる」

A. 片腕のサーファー・ガール

 サーフィンの上手な13歳の女の子が、いつものように海に出ていました。すると、何と、水をかいていた左腕をさめに食いちぎられてしまうという事故にあったのです。ところが、クリスチャンのサーファー、ベサニー・ハミルトンさんの表情には、いつも笑顔があります。
 神さまの霊に満たされた人生には、どんなことがあっても喜びがあるのです。

B.聖書より

他方、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。使徒言行録13章52節
 自分たちだけが神さまに救われたいユダヤ人は、町中の人々がパウロとバルナバの話を聞こうと集まってきたのを見て、ひどくねたみました。そして2人を町から追い出してしまいました。パウロとバルナバは、足のちりを払い落としてアンティオキアを去り、イコニオンへ行きました。二人は(追い出されたのに)、ますます喜びと聖霊とに満たされて、その顔は、喜びでいっぱいでした。イエス様を心にお迎えしている人には、いつも愛と喜びがあるのです。

C. 事故は「大切なことを発見する」機会

 サメに片腕を食いちぎられたことをきっかけに、サーファー、ベサニー・ハミルトンさんは、テレビなどを通じて、「わたしはイエス・キリストを信じています。神は皆を愛しておられます。だから、夢を捨てないで」というメッセージを世界中に伝えています。それは、自分が神さまの前で罪びとであり、キリストに贖っていただいているという、しっかりとした信仰があるからです。
 ベサニーさんのことを聞くと、最初は誰もが、「大丈夫なのかな〜。サーフィンに影響ないのかな〜。」と、片手が失われたことばかり気になってしまいますが、信仰的な目でよく見ると、「大切なことを発見する」機会であったことが分かります。ご家族も友人も、ベサニーさんの内面にある光(輝き)は、サーフィンができることや健康であるといった、一時的なものから来ているのではない、ということを発見しました。それは、ベサニーさんの内に住んでいらっしゃるイエス様から来ているのです。事故後も、それは変わらず、ベサニーさんは数週間後には、人々の前に立って、イエス様を証ししていました。
 このようなイエス様中心の生活をしているベサニーさんの人生から、心配や恐れ、憤りや不安は取り除かれ、希望と朗らかさで満ちています。そして、サーフィンを通して、イエス様に救われた素晴らしさを証ししよう立ち上がり、世界中に神さまの愛とイエス様の救いの素晴らしさを伝えられるようになりました。

D.結び

 神さまの霊で満たされるとき、人生から心配、憤り、恐れ、不安は去り、人は楽しく、希望に満ちて、明るく楽しい性格になります。そして、神さまの力が働くとき、自分で思っていたよりも、素晴らしく大きなことができるのです。
御翼2010年4月号その2より


  
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